緑の里クリニック

内科,胃腸科内科,人工透析内科,腎臓内科,循環器内科,脳神経外科
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宍戸院長コラム

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奄美いいとこ、一度はいこう-そして何度もいこう

<旅は楽しい~緑の里クリニックでの「旅」を振り返って>
 
 緑の里クリニックは平成3年12月にスタートしたので、25年目を迎えていることになります。これまで、幾多の困難を何とか克服できたのも、一生懸命に通院し、励ましてくれた地域の外来の患者さんと、多くの透析を受けている患者さんであったと思います。改めて心よりの御礼を申し述べます。
 
 これまで、1年に1回の職員旅行を行うことを心掛けてきましたが、それは、最初は1泊2日の近県へのバスでの小さな旅でした。仕事を離れてスタッフ同士でワイワイ騒ぐ楽しいものでありましたが、何より女性スタッフの「朝食がだまって出てくるのが一番嬉しい」の一言が背中を押してくれたのです。
 その後2泊3日の旅行に拡大され、これまで日本全国‐南は九州から北は北海道まで、多くの地を4班に分かれて訪れました。鹿児島、嬉野‐長崎、大分‐湯布院‐別府‐臼杵、広島‐山口‐萩、出雲‐松江、土佐‐高知、京都、奈良‐飛鳥、長野、金沢‐永平寺、札幌‐小樽‐有珠山、函館、旭川‐富良野‐美瑛、などです。
 
 旅に出る前には多くの資料に目を通して、訪問地の歴史、観光名所、名物を研究し、パンフレットを作成し皆で学習しました。又、その地の美術館を訪れましたが「一人の画家が画き残した一枚の画には、その人の歴史、人生が凝縮している何かを訴えているはずである。みる者は何かを感じるはずである。私達は医療従事者であるのであるから、目の前の一患者に対して同じような想いを抱く必要があり、若い人には沢山の絵をみて何かを感じてもらいたい。」との私なりの理屈を込めたのです。
 
 一方、5年勤続者では香港、台湾、シンガポール、北京への旅を設けました。これもスタッフの仕事への意欲をかきたてたと思います。10年目の時、中国‐東南アジアでサーズが流行し実施が困難になりました。丁度その時、田中一村の美術館が奄美にできるとの報道があり、スタッフと相談した結果、奄美大島への研修が開始されたのです。
 それ故、奄美と私達の出合いの仲人は画家田中一村ということになります。彼は50歳で中央画壇を捨てて、単身奄美大島にわたり、ほぼ自給自足の生活を行いつつ、南国の濃密な自然を鬼気しに迫る迫力で描いています。代表作として「アダンの木」「奄美の杜」などがあります。私が50歳の時、毎日の仕事が多忙な時には、田中一村の生き様を思い出しながら歯を喰いしばって仕事を勤めることができました。
 
 そもそも人間はなぜ旅をするのでしょうか?それはアフリカで生まれたホモエレクトスなどの前人類がそうであったように、10万年~20万年前にアフリカで誕生したホモサピエンスも世界に拡散したのですが、それは未知の景色、空気、海の遠いかなたにある大地への好奇心故の‐旅ではなかったかと思われます。それは現代人の旅の心に引き継がれているのでしょう。

 奄美人である林蘇喜男は「古代の南島経営と奄美の地名表記考」で次のように述べています。
 “「アマミ」と発音するときの響きには、「やさしさ」や「いつくしみ」や「陶酔感覚」と「安心立命」の境地などが混ぜ合わさっていて、乳飲み子が母親の胸元で笑顔をみせているときの、えもいわれぬ幸福感に満たされている感覚を喚起させる不思議な語感がただよっている。発音上では「奄美」は、「まほろばの島々」という懐古の感覚をかきたててくれる。”
 “奄美は、亜熱帯の風土がはぐくんできた特異な自然環境を有し、外来者にとってはその来訪目的の如何を問わず魅惑的でエキゾチックな雰囲気-立ち去りがたくなり、あるいは逃げ出せない虜の状況、いわば「まほろば」や「桃源郷」-を感じさせる独特な香りの放散に酔いしれて、迷鳥になってしまったような気分を味わされてしまう島々であるといえそうである。”
 私達もその魅力のとりこになった一人なのでしょうか。
  
                                                宍戸 洋

  

2016-03-12 10:47:33

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